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書き足りないので戻ってきた。表面上で判断することに慣れると、それが心の声だと勘違いしてしまうのよね。自分の中にある言葉(声)を信じるのが怖いっていう思いもあった。心のどこかでわたしは幸せになってはいけないってブレーキをかけてた。今もがっちりかかってるけどね。自分を犠牲にして周りを幸せにすることが当たり前すぎて、それをせずに安心を手に入れられることを信じたくなかったのかもしれない。自分をすり減らして周りを笑顔にさせることに必死になってた時期もあったな。そこまでする必要ないでしょう?っていう自分の声を無視して。習慣でついつい・・・。そうすることで争いを避けてたってのもある。それまではそうすることでしか自分を守れないと思ってた。すごく狭い視点で物事を見ていたなぁ。可能性は無限にあるのに、それを無意識に自分で踏んづけてたね。自分の可能性に気づくのが怖かったのかな。それなりに殻を破れたと思っていたけど、まだまだだったみたい。外の世界で何かが起きたというよりは、内側の世界で小さな爆発が起こって中身が若干黒こげ状態って感じかしら。とても香ばしい匂いがする・・・!

 

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なんか・・・去年の今頃はずいぶん浅いところにいたなぁ・・・自分の中にも言葉(声)があるのに、その言葉(声)が聞こえないからって、外の世界に転がってる言葉(声)を探して自分を納得させて。それって完全に内側の言葉(声)を無視してるし、自分を信じてない。ものすごーく上辺だった。何かある度にグラグラして、うわ!危ない!ってそりゃ危なくなるよ。だって自分の言葉(声)よりも外の世界にある言葉(声)のほうに価値があるってどこかで思っていたのだから。こんな自分のことなんて信じられないって思ってた。外で自分を支えてくれそうな言葉(声)をひたすら探して、見つけて、安心して。間違ってないんだって言い聞かせて。自分と向き合うのって忍耐が必要だから、それをしないために逃げて、物を買って、食べて、気を紛らわしての繰り返し。タロットカードとかオラクルカードに翻弄されて、上がったり、落ちたり。今思えばものすごく忙しい日々を送ってたな。精神的に落ち着くどころか頭が破裂するんじゃないかってくらい考えすぎて、実際に頭のネジが外れてた気がする。今年は比較的大きな波が来てくれたおかげで、安易に外の世界に頼ろうとする表面上のわたしがいたことに気づけた。ハッとなる出来事があって初めて気づくことがある。あの頃のわたしは波に乗ってるつもりが流されていただけだった。当たり前のように明日が来ると思っていたし、毎日当たり前のように食事をして、服を着て、お風呂に入ってた。明日も生きている前提で話してるけど、明日生きてる保証なんてどこにもないんだよね。去年の今頃はわかっているようで、わかっていなかった。きっとわかりたくなかったのだと思う。だって目の前のことで精一杯な時って他のことを考える余裕がないから、仮に明日旅立ちますよって言われても頭が混乱するだけだっただろうし。あの頃は生きているようで生きていなかったな。流されるのと生きるのとでは大きな違いがあるよね。言い訳ばかりしてできない理由を並べてため息ついてた日々も決して無駄ではなかったけども。とりあえず自分に自信がないからって外の世界に答えを探しにいくことからは卒業します。本当に自分に申し訳なかった。一番性能に優れたナビがついてるのに、電源だけいれて使わないってどんだけよ。使うふりだけして満足してた・・・わたしの目を覚ましてくれた出会いに感謝。

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わかっているようでわかっていないこと。それは誰もがいつかは死んでしまうということ。その日はいつかやってくる。本来の場所へ帰る日が。白があるから黒があって、光があるから影がある。様々な感情を経験するためにこの世にいる。なんとなく生きるのではなく自分と向き合いながら生きるために生まれてきた。泣くことも笑うことと同じくらい大切なこと。怒ることも喜ぶことと同じくらい大切なこと。無表情でいることも同じくらい大切なこと。どの感情が正しくてどの感情が悪いなんてことはない。どれも平等。