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わたしは人の多い場所へ行くと楽しむ気持ちよりも耐える気持ちが勝ってしまう。細かく言うと人の喜怒哀楽が混じり合う場所にいるのがすごく苦手。唯一楽しむ気持ちが勝つ場所はライブ会場。行った次の日は頭痛がして体に力が入らないけどそれも経験の内だと思うようにしてる。耐えることについてなのだけど、わたしは物心ついた時からドMかよってくらい耐えることが当たり前にできる子供だった。幼稚園に上がる頃には両親の仲が冷えきっていたから、母のうっぷんは常にわたしと弟に向けられてた。父は常に無口で母と同じように心の中に怒りを抱えていたように思う。わたしたち兄弟は両親の怒りが充満した家では落ち着くことができず、いつもびくびくしてた。わたしはその頃から生きることの意味を考えるようになってそれは今も変わってない。両親が衝突しないようにするにはどうすればいいかってことを第一に考えていたから、毎日気疲れしてたのを覚えてる。そしてその時にすべてを反面教師にするって決めた。ありえないことがありえる家庭だったからこそ芽生えた思いだね。当時の環境もあるだろうけど、20歳を過ぎて確信したことがある。それはわたしが周りの気持ちや環境に影響を受けやすいということ。家庭内では常に耐えなきゃ、耐えなきゃと自分の気持ちに蓋をしていてこんなの当たり前だと言い聞かせてたのだけど、今思えば相当ストレスを感じていたのだと思う。小学生の時はよく下痢をしていて勉強も手につかず。帰宅すると重い空気が流れてて全く落ち着かなかった。元気に振る舞うことはできたけどそれも辛くて。集団で行動するのが大嫌いだったからいつも浮いてた。無理してグループの中に入って疲れるなら、1人でいたいなって思ってた。家で合わせてばかりだったからその反動だったのかもしれない。社会に出てからも入った会社の空気に影響を受けてしまって、その度にトイレにお世話になってた。同僚が不機嫌で別の同僚と喧嘩し始めると急に元気が無くなってきて深呼吸しに廊下まで行ったり。その同僚から相談を受けた後は体に力が入らなかったり。どれだけ弱いんだわたし・・って自分をかなり責めてた時期があった。大好きな友人といる時はむしろ元気をもらえてパワーアップするのだけど、基本疲れてしまうので人づき合いにはかなり慎重。だから友人が少ない。会社選びも一大事。いつも感覚に頼るのみ。そもそもわたしが働ける場所があるってことが奇跡に近い。日々のメンテをしていても強力な空気には敵わないから砕けてしまった時は言葉にならない気持ちになる。生きるのって決して簡単じゃないから、自分で選べることについてはとことん選ぶのが大事。そんな感じかな。なぜか書きたくなって書いてしまった。ちなみに夕食は鮭ちらし。