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新しい考えを自分の中に落とし込むよりも、古い考えを捨てるほうが難しい。その考えと過ごした時間が長ければ長いほど、捨てるのに時間がかかる。けれどその考えの元となった現象が意味を持たず、中立的な立場にあるとしたらどうだろう?現象自体に意味はなく、全てが自分の捉え方によるとしたら、なぜ自分がそのような考え・思いを抱くようになったのかを掘り下げることができないだろうか。悲しみや苦しみが自分の為の学びだと思えた時に初めて目の前の景色が変わるのだと思う。人生は自分に対して起こっているのではなく、自分の為に起こっているのだ。レールに乗っかっていて、早く降りたいと言うのではなく、そもそもなぜレールに乗っかっているのか、降りようと思えばいつでも降りれるのに、なぜ降りないのか。一度だけの人生、誰かの為でなく、自分の為に生きよう。

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「今」にいるということは実に難しい。明日、明後日、来週、再来週、次の休み・・・ この世界は、「今」目の前で起きていること、自分がしていることに意識を向けることよりも、未来に何をするかということに意識が向きやすい。「今」しかないのに、未来に思考が先走るようなデフォルト設定になっている。毎日は「今」の連続であって、本来は昨日も明日も存在しない。時間という概念は地球にいるからこそ成り立っていて、その概念が過去、今、未来という一直線の世界を作り出している。その時間軸だと昨日は今日と繋がっていて、今日は明日と繋がっていることになるけれど、現実は何層もあって、わたしたちは常に様々な次元を行ったり来たりしているから、必ずしもそこに繋がりがあるわけではない。明日何が起こるか、この先何が起きるかは、その時になってみないとわからないし、未来の心配をすることによって、「今」から逃げているとも言える。

次の「今」を良くする近道は、「今」の質を上げること。「今」を意識するということは、目の前の現象だけでなく、自分の物事の見方、考え方、人との接し方を見つめて、振り返って、次の「今」に活かすこと。自分の内側で何が起きているかを常に把握して、なぜだろう?と思う部分があれば、それらを分析して、紐解いていく。この作業を通して自分自身を知っていく過程は地球で生きる上で必要不可欠だと思う。内側(自分の心)の世界と外側の世界は常にシンクロしていると思っていて、内側が不安で溢れていれば、外側はその不安をありえないくらい正確に見せてくれる。だからこそ、もしも外側の世界で繰り返し経験していることがあれば、そこには必ず内側で恒常化している見方や考え方がある。

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焼肉とか牛丼を食べなくなってからどれくらいが経つだろう。唯一たまに食べるのが唐揚げ。だけどさっき食べたらお腹がずっと重くて、美味しい!と思えなかった。仕事に追われていた時は、食べることで発散していたところがあったのだけど、今は好きな音楽を聴くだけで発散できているから食事に頼ることがなくなった。お腹が空いていないのにクッキーや煎餅を食べて仕事に打ち込んでいた日々を思い返すと、食べなくていいものを詰め込み過ぎてたな・・。お腹が空いてる・空いてないじゃなくて、食べないとやってられないから、何かを食べる感じ。不健康すぎた。昨日は、白菜納豆を炊きたての玄米に乗せて食べたのだけど、美味しい!ってなったからそういうことなんだと思う。無理をせずに生きていれば、食事もシンプルなもので満足できるんだなって思った。何かにすがりたくなる時は、自分が必要以上に無理をしているってことだよね。心が落ち着いていると時間の流れもゆったりしていて、生きているってすごいことだよなーって思う。今日も濃いめのカルピスで乾杯。希釈用のカルピスがセールになってると地味に嬉しい。